七ぶらシネマ 第6回

生誕200年、シューベルトの映画/作曲家の生 辛らつに

生誕何年、没後何年という顕彰のしかたは、何もクラッシッ ク音楽界だけのことではないが、ここでのそれは特に際だって いる。百年は当たり前、二百、三百年前も生まれた人、死んだ 人が取り上げられ、大量のCDが出され、演奏会も頻繁に行な われる。大作曲家になると五十年単位となり、五十七歳で死ん だベートーヴェンなどは、十九七〇年に生誕二百年を盛大に 祝ったと思っていたら、しばらくして没後百五十年を顕彰され ている。五十一歳で他界したマーラーだと、二年連続というこ とになる!。 今年は、シューベルト生誕二百年。「夜曲(ノットゥルノ) シューベルト・愛の鼓動」という作品が出てきた。出てきた、 としたのは新作ではなく十年前の作品だからだが、ちょうどそ の頃は、シューベルト像の変更が一般に知られ始めた時だった。 それまでは、何よりも「未完成交響楽」の人。ロマンティスト であり、短かった人生を敢然と通り抜けた天才だとされていた。 この作品では、シューベルトの若死は自業自得だったと語る。 夜遊びの結果である。映画の始まりは梅毒患者を収容するサナ トリウム。ベットから起き上がったシューベルトが頭をかきむ しると、髪の毛が抜け落ちる。 「未完成交響楽」やクララ・シューマンを描いた「愛の調べ」 などのロマンチックな作品しか念頭にないと、ずいぶん辛らつ な描き方だと思われるが、最近の作曲家の生涯を綴った映画と しては、こちらが主流だ。 リチャード・バートンが演じた「ワーグナー」しかり、ケン・ ラッセル監督の一連の作品も同様である。チャイコフスキーを描 いた「恋人たちの曲・悲愴」と「マーラー」、共にきわめてシニ カルな作品だった。さらにはロマンチック路線とは対極の「リス トマニア」というお騒がせ作品さえある。リストがフランケンシュ タインの怪物になってしまうのだ。 作曲家を描いた映画を見るときに、いつも思うことは、作曲家 の姿に、その人が作った曲が必ずしも合致しないこと。今回の作 品でも、シューベルトが通り越しに女性を眺めるシーンで、ハ長 調の大きい方の交響曲が延々と流されるが、そぐわないこと甚だ しい。 筆者にとって、クラッシック音楽と映画の画面が、もっとも幸 福に結びついた例は、ワーナー漫画でのマイナーバードが出てく るシーンで流されるメンデルスゾーンの「フィンガルの洞窟」。 小利口な鳥の姿に、なぜか、ロマン派のメロディがぴったり合っ ていた。
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