七ぶらシネマ 第10回
スクリーンに戦車や潜水艦が登場すれば、どんな鈍感な人でも、その あと、それらが使われるだろうと推測できようが、それは、なにも戦車 や潜水艦といった特殊なものだけではなく、普通の自動車の場合でも同 じである。 刑事が犯人を追いかけようとする直前、唐突にといった感じでタクシ ーが写し出されると、そのあと、犯人の車を追いかけるべく、あまりに もタイミング良くタクシーが走ってくるシーンを、何度見てきたことか。 今や、治安が良くないとされるアメリカには、流しのタクシーは、ほと んど存在しない、といわれているのにである。 出てきたものは、使われる。それは電話のようなさらに小さな、日常 生活の中に普通に存在するものの場合にも当てはまり、スクリーンに電 話機が現れれば、必ずや呼びだし音が鳴るか、その脇にいる人物がダイ ヤルを回す(古臭い表現!)。 ここで、凡庸な監督は、電話を単に会話の道具、都合良く物語を進め るための道具としてしか使わないが、真に実力のある監督は、この提示 と使用との間に生じる微妙な間を活用し、電話という日常の道具から劇 的空間をつむぎだす。 母危篤の電報を、あえて電話を通じて話させ(あえて<注>を書けば、 その名のごとく、電報なるものは書面で配達されるのが普通だった。受 信先に電話があれば電報を使わないのは、現在以上に当然のこと?)物 語の、それまでの淡々とした流れの中に、急転直下、見事なエンディン グを導入した「東京物語」など、その最良の例といえるだろう。 ところが、ヒョイと取り出せる携帯電話が登場し、そんな間を楽しむ ことも少なくなった。最近では「ザ・エージェント」での、携帯電話の 活躍ぶりが凄かったし、「スピード」では、公衆電話が映り、そこへ犯 人からの最初の声明が入って、これはと思い気や、続くバスジャックの シーンでは、キアヌ・リーブスが不運な黒人氏から借り受けた携帯電話 が大活躍だった。 携帯電話に会話の道具以上のものを期待するのは無理なこと、と思っ ていたら、ペルーの人質事件の解決があった。テレビには、携帯電話を 手に現場で指揮をするフジモリ大統領の姿が写しだされ、昔の戦争映画 小僧には、壮絶な戦闘シーンの中での、必死に連絡を取ろうとする戦士 の姿がだぶってきた。 携帯電話なるものは、機能的にも、使われる形にしても、戦場での無線 機と同じものだと思わざるを得ない。それは「最前線物語」のリー・マー ビンの歩兵小隊長が、命がけで敵の状況を報告する姿と共にあるべき道具 である。キアヌ・リーブスがバスに乗り込むのにあたって、強奪に近い格 好で携帯電話を借用したのも、大いにうなずける。
七ぶらシネマの目次へ