七ぶらシネマ・特別編

極私的、静岡の映画館は、かつて...その1


かつて映画が人々の最高の楽しみだった時代、映画館がいっぱ いある繁華街は、現在のわれわれが想像する以上に魅力溢れた場 所だった。静岡市七間町は、そんな町のひとつで...「七ぶら シネマ」をこのような文章で始めた。 この七間町では、98年のゴールデンウイーク最後の日の午前 10時過ぎ、往時の姿を偲ばせる状況を呈していた。 「タイタニック」を上映中の オリオン座の前には、まだ上映開 始30分前というのに50メートル以上の長い列ができている。 向いのピカデリー・松竹の前には、この日の夕方、ジャニーズJr. なるものが舞台挨拶に現れるというので、興奮気味の若い女性が 群っている。一方、東宝の前では、「コナン」「クレヨンしんちゃ ん」のふたつのアニメ番組を見ようとする親子連れが長蛇の列。 映画館が集中している我が家の周辺だけではなく、その昔(と いっても私が小学生から高校生までの間ぐらいの期間の話。以下 は、すべて私の記憶に基づく記述で、当時の新聞や「銀幕週報」 で確かめるようなことはしませんでした。<間違っている>とい う人はメールをお送り下さい。)静岡の町の中には映画館が 点在していて、映画が切り替わる時間には、少なからず似たよう な情景が見られたものだった。 * たしかに「銀幕週報」なるものが、あったのです。「ぴあ」 の静岡版ともいうべきタブロイド紙で、有料だが、多くの家庭 で定期購読され、新聞と共に配達されていた。 ================================================================= 「七ぶらシネマ・ストリート」の安倍川側の終り、といってもオリ オン座から70メートルも離れていないが、現在、マンションが建 築中のところに国際劇場があった。最初は洋画の封切り館だったが、 有楽座、ミラノの新築をうけて、洋画の2番館となった。 *「2番館」という言い方も、今では説明が難しい。というのも 現在は「1番館」しか存在しないからだ。 まず封切り館(1番館)での公開があり、その直後か、ひと 月位後までの間に2番館での公開がある。さらに、3〜6ケ月 位の間に3番館に流れてくる。 後述する名画座で上映されるような作品を除けば、ビデオなど というものがなかった時代ゆえ、この間に見てしまわないと、も うその映画に接することは不可能に近かった(特に日本映画では)。 大きな映画館だった記憶があり、なぜかジャングル物をたくさん見 たような気がする。鮮明に覚えているのはハリーハウゼンの「シンド バット七回目の航海」を見たこと。カーシュイン・マシューズと骸骨 の立ち回り、どうしてこんなことが出来るのか?大いに疑問だった。 アニメ、特撮少年の最初の芽生えである。それから、マンシーニのテ ーマ曲と、ラストの野球場のシーンが印象的なグレン・フォードの 「追跡」、ここの2階で見たな。 映画館のあと静岡初のボーリング場となり、さらにパチンコ屋にと姿 を変え、更地にされた後は長らく駐車場だったがマンションが建つこと になった。この映画館の地の変遷を見ると、今でも「七ぶらシネマ・ス トリート」が存在することは、奇跡に近い思いを禁じ得ない。 ================================================================= 国際劇場から、さらに安倍川方面へ100メートル行くと、駐車場 があるが、その建物を注意深く見ると、かつて劇場だった痕跡を見て とれるはずである。駒形劇場の跡である。邦画の3番館で、東宝作品 を多く見た。「天国と地獄」は超満員だったし、「無責任シリーズ」に 「駅前」と「社長」シリーズ(これらについては、あとの劇場でも触れ る)の記憶が、この劇場と共に残っているが、友人は日活作品の記憶と 共にあるという。たしかに「殺しの烙印」はここだった。 ================================================================== さらに安倍川橋方面に近付くと、幸町にミリオン座なる映画館が あった。後にはストリップの劇場になったが、ここでの記憶は、大相 撲ダイジェストの映画版というべき物を見たこと。毎場所後、その場 所のハイライトを30分程度にまとめたフィルムが作られ、映画館で 上映されていたのだ。大相撲ダイジェストの「日本相撲協会映画部」 ウンヌンという表示は、そのなごりだと勝手に解釈している。 =================================================================== ここから、静岡の中心街から1〜2キロの場所を時計回りに見てい くことにする。幸町の隣りに番町が拡がり、富士見劇場とロマンス座 があった。 富士見劇場は邦画の3番館。主に、大映や松竹の作品を上映してい た印象が残っているが、筆者としては、東映の「七色仮面」を見にか よったことを覚えている。テレビの30分作品を2本まとめて1本と し、それを6週間程度連続的に上映したのだ(「七色仮面」の一話は 30分番組13回で完結したのでアリマス。静岡でのこの作品の放映 は日曜日の朝10時半。東京にたいぶ遅れて放送されたのだった)。 何よりも、火事で燃えたことを覚えている。燃え盛る炎を覚えてい るし、再建後の開幕のときの賑いも記憶にある。 ================================================================ ロマンス座は、邦画になったり洋画になったり....と変遷激し く、洋画時代、何度も何度も足を運んだ。その割には印象が薄く、ア ンソニー・クインの「ノートルダムのせむし男」(当時は、そういう 題名が可能だったんですね)を満員の中で見たことくらいしか覚えて いない。ただし、ここと、あとで出てくる地球座の看板を、ワルガキ 連が自転車を連ねて見に行ったことを覚えている。 ================================================================== 浅間神社のすぐ下に、宝劇場があった。筆者がかよったころは、大 映と松竹の3番館だった。「座頭市」の劇場でもあったが、印象に残っ ているのは田宮二郎の「犬シリーズ」。実に格好良かった。 個人的に特筆すべきは、年齢的に見てはいけないはずの「壁の中の 秘めごと」を、ここで見ていること。もちろん、年齢詐称して入った のだが、のちに、ベルリン映画祭に出品されて、国辱的だ、との報道 があったとき、若松監督批判派にしろ擁護派にしろ、本当のところは 述べていないな、と感じた。補導を覚悟のボーケンとしては、マスコ ミの論調をにわかに信じてはいけないという大収穫があったわけで、 充分にモトがとれているが、それにしても、ほとんど最初に見たポル ノが、この若松作品だったということは、キョーイク的には非常によ ろしくない。最初は、本来のポルノ(?)を見るべきである。 もうひとつ。確か、この作品と一緒に見たのは、「三匹の侍」の映 画版か、それでなければ長門勇の「蟹侍」(そんな風なタイトルだと 記憶している)だった。ということは、ピンク映画は5社作品とは、 まったく別のところで上映されていた、という<歴史的事実>に誤り があることになる。 ピンク映画の最初期、地方都市の場末の映画館では、メジャーの作 品とそれらが混在して上映されていた、ということだけはいえる。 (続く)
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